風と共に去りぬ(前編)
大事なタイミングで体調を崩す
プロとしてまだまだダメだなと
週末だというのに、体調がイマイチで大事を取ることにした今日(令和6年3月29日)、のんびりと映画でも観ることにした。左巻きから攻撃されそうだけど、物心ついた頃から大好きな作品だから、左巻きの小言なんて聞いてなんていられないわ。のんびり観れるような映画でもないか^^;。
印象に残っているシーン
戦火での逞しい誓いの叫び
前編のエンディング、戦火の中、アトランタからやっとの思いで故郷タラへ辿り着いたスカーレット。夕暮れ時、荒れ果てた畑を呆然と歩き徐ろに足元にあったダイコンを引き抜きかじりつき泣き崩れるスカーレット。束の間、力振り絞って立ち上がり拳を握りしめ天に向かって叫ぶ
小学生の頃、一緒に観ていた私の父は戦後のひもじい暮らしを思い出すらしくこのシーンのスカーレットの逞しさ・力強さに感動していた。この時に父が私にどんな大人になって欲しいのかを感じた取った。そして、私もそれは必要なことだと思った。
お金がお金を引き寄せるという学び
戦後のお金の工面に苦労したいたスカーレット、タラ邸リビングの窓にかかる緑のカーテンを引きちぎり、それを見事なドレスに仕立てあげ、レットへ借金をしに行った。なるほどと思った。お金がお金を引き寄せるということをこのシーンから学んだ。
マミーの演技は秀逸だった
メイドのマミー役であったハティ・マクダニエルの演技がとにかく楽しくて素晴らしくて引き込まれた。スカーレットがその言動程には悪に感じずに、むしろ微笑ましく可愛い女性に見えたのは、ㇵティーの演技によるところが大きいと思う。この役でアカデミー助演女優賞を受賞した。黒人でオスカーを初めて受賞したのが彼女だと知って、この時代での受賞というのは凄いと思った。それだけ彼女の演技が際立っていたと考えたいが、実際際立っていたから文句のつけようもないのだけど、ただ大人になってみるとあの世界はいろんな力が働き、いろんな裏事情もあるらしいから、ほんとのところはわからない。
日米開戦と被る北部白人のやり口
現代ではその内容からいろいろと取り沙汰されしまう作品となってしまった「風と共に去りぬ」。歴史ものという捉え方であれば、何も問題ないのでは?と私は思う。実際に、そういう時代があったのだから。この映画だけで判断すると、米南部の白人と黒人は良い関係であったように見える。それを対立関係に仕向けたのが北部の白人連中、なんかねこのやり口は日本を戦争に駆り立てたルーズベルトのやり口に似てるわよねと、そんなふうに感じるのは私だけだろうか?
映画としては満点
内容はどうあれ映像・映画・娯楽という視点だと、ほんとに良く出来た作品だと思う。初公開から85年経った今も色褪せない素晴らしい作品だとも思う。
映画を観ながら父との思い出を回想する
こうやって回想してみると、今更ながら私は父が大好きだったのだと思い知らされる。そして、私の記憶にある中で父が最も食い入るように観ていたのが「風と共に去りぬ」でスカーレットが吠え誓うシーンだった。そのことが、私がこの映画を好きにさせた最も大きな理由かもしれない。そして、スカーレットに憧れ、ヴィヴィアンリーに憧れた。彼女のようになりたいと強く願う自分がいた。その憧れの先に父を見ていたのかもしれない。
実は、今の私の基礎を作ったのは、今は亡き父なのかもしれない。
そんな舞の家の玄関には、スカーレット・オハラの大きなポスターB1サイズ(728x1030)を飾っている。
文庫
Prime Video
DVD
風と共に去りぬ スペシャル・エディション 〈4枚組〉 [DVD]