行き過ぎがもたらすもの
cakesというサイトで『「(L)GBT」とSNSのプロフに迷わずに書ける人が羨ましい』という牧村朝子さんの記事を読みました。
厳しく辛辣な内容ではあるものの、世の中をよく捉えていて素晴らしい内容であると同時に、とても考えさせられる内容の記事でした。博識な方で語彙も豊富で表現力も高くとても楽しく読める文章でした。
さてここで、まず正しく認識してもらいたいのは、記事本文にも書かれているように LGBTとは?
「LGBTは人間の種類の名前ではなく、アメリカ発祥の社会運動のチーム名。連帯のあり方の名前です。」
ということなんです。
ニューハーフもそうなんですけどね。現在では、性同一性障害=ニューハーフみたいなことになっているところがあって、ニューハーフと言われている人たちからすると迷惑な話なのですよね。元々は、ニューハーフって職業名ですからね。言葉はひとり歩きをするものなんですけどね。でもちょっとこのへんの言葉の定義は明確に認識を合わせておかないといけないのではと思いますよ。
記事中にこんな一節があります。
「要するにLGBT社会運動(の一部)はね、空に虹をかけようとして星条旗に取り込まれたんですよ。すでにあるアメリカ的政治経済の仕組みに巻き込まれて死んだり殺されたりしていた人が、変革を目論みて飛び込み、迎合させられていってるんですよ。」
これは、日本で言うなら同和とかアイヌとかと同じことかなと思います。その社会運動を先導しているのは誰なのか?当事者じゃないですからね。
性別が何であれ、立場がどうであれ、それ以前に人としての大切なことを忘れてしまっていないだろうか?
この牧村さんという方が書かれていること、とても共感しました。というか、私もずっと同じようなことを考えていましたしね。
人類という括りでは超個性なのかもしれないLGBTな人たちなんですが、LGBTだけをまとめてみたら金太郎飴で何の個性もないという日本人資質で、自分のない人がほんとに多い。誰ともわからぬ人が用意してくれた箱に入ってそれで満足できるのだから羨ましいと思うのですよね。ところが、自分で用意した箱ではないから、本来なら感謝すべきところを感謝するどころか文句ばかり言い出すのですよね。まあとにかく話にならないわけです。
この記事中に「死なないための仕組みが殺す」という段落があります。そうなんですよね。「自由であるための仕組みが自由を奪う」とか。高尚な理想に向かっていった時にその理想を実現するために最終的に取る手段は、「戦争」ということなんです。
行き過ぎた「命」崇拝がもたらすものは、結局「命」の奪い合い。
そんなわけで、そろそろリセットが始まるのかな。
最後に、別サイトでこんなブログも書いております。
下記ブログも合わせてお読みいただけると嬉しく思います。
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