人は与えられた環境の中で如何様にも成長することができる。 本人の考え方と姿勢次第で。するとすべてのことに感謝の気持ちが湧いてくる。
まえがき
自分を言葉で表現すると何者?所謂肩書は
こんにちは。埼玉の熟女ニューハーフヘルス嬢のマダム舞です。
自分は何者なんだ?と問うた時に
ニューハーフ・オカマ・風俗嬢・・・などになるのかな。
最近、もうひとつ別の肩書みたいなものがほしいなと思った。
自称:植物哲学者
振り返ってみると、小さい頃から竹や野菜など身近に存在した植物に興味を持ち観察したり栽培したり、そういうことが好きだった。ここ数年でさらに深い興味を持って植物の向き合う毎日を過ごすようになり、特に植物の知性や生存戦略なんかを考えていると、とてもワクワクする自分がいることに気が付いた。
さらには、森を歩き自然と対話しなさいとか、食事の前に必ずこの宇宙の万物に生かされていることに感謝しましょうとか、植物たちと人間の深い関わりについても言及してきた。
そんな歴史があってのことだと思うけど、ふと何気に頭に浮かんだ
”植物哲学者”
あ〜 これだなと。
まずは”植物哲学者”とは何だ!?
まずは、その定義をみなさんに明確に示しておきたいと思い、ここはやはりAI搭載検索エンジンFeloさんに頼ることにした。
ということで・・・
植物哲学者とは?
と、AI搭載検索エンジンFeloさんに尋ねてみました。
植物哲学者とは、植物に関する哲学的な考察や理論を展開する学者や思想家を指します。彼らは植物の存在や生態、さらには植物と人間との関係について深く考察し、植物の知性や行動、さらには倫理的な視点からのアプローチを行います。
植物哲学の背景
古代の哲学者たち
古代ギリシャの哲学者テオフラストス(紀元前371年 – 紀元前287年)は、植物学の祖とされ、植物に関する多くの著作を残しました。彼はアリストテレスの弟子であり、植物の分類や生態についての体系的な研究を行いました。彼の著作『植物誌』や『植物成因論』は、植物の生理や分類に関する重要な知見を提供しています。
近代の発展
20世紀以降、植物に対する理解は大きく進展しました。特に、植物の行動や知性に関する研究が進み、植物が環境に対してどのように反応するか、またそれがどのように知覚されるかについての新たな視点が生まれています。例えば、植物は傷つけられた際に揮発性有機化合物を放出し、他の植物や動物に信号を送ることが知られています。
現代の植物哲学者
エマヌエーレ・コッチャ
現代の植物哲学者の一人であるエマヌエーレ・コッチャは、植物を中心に据えた新しい存在論を提唱しています。彼の著作『植物の生の哲学』では、持続可能性や環境問題に対する人間中心主義的な思考を見直し、植物の視点から世界を再考することの重要性を説いています。
マイケル・マーダー
また、マイケル・マーダーは『哲学者の植物』という著作を通じて、哲学における植物の役割を探求しています。彼は、植物が持つ独自の存在論的価値や、哲学的思考における植物の重要性を強調しています。
結論
植物哲学者は、植物の存在や行動、そしてそれらが人間社会に与える影響について深く考察する学者たちです。彼らの研究は、植物を単なる背景としてではなく、重要な存在として捉える新たな視点を提供し、環境問題や倫理的な課題に対する理解を深める手助けとなっています。
舞の結論
AI搭載検索エンジンFeloさんが出した結論、これはまさに舞がブログで言及している内容と一致するではないか!?
何気に頭に浮かんだ”植物哲学者”だったが、間違いではなかった。天が授けてくれた肩書のように思えてきた。
舞が目指すところがより明確になってきたように思う。
Feloさんの言葉を借りれば
植物を単なる背景としてではなく、重要な存在として捉える新たな視点を提供し、環境問題や倫理的な課題に対する理解を深める手助けとなるようなことをこれからも発信していきたい。
最近の出来事で思ったこと
実はこの投稿の本題はここから
最近、友達からのメッセージにとても違和感を持った。メッセージ内容は、ここに示せないが、そのメッセージを読んで感じたことを綴ってみたいと思う。
そのメッセージを読んで、まず思ったのは・・・
自分のことなのに、なぜか他人事のような言動をする感覚がよくわからない。その依存体質・責任回避体質はなんとかならないの?って思った。大体それでは何も始まらない。始められない。人は動かない動かせない。動くとしたら、それは足元を見て浸け込んでくるような不誠実な輩たちだけ。
ほんとにその姿勢は良い結果をもたらすことはないから、気をつけてほしいと思う。
責任・リスクを負わないツケ、後々大きなツケを払わされることになる。
まあ、それでも他人に押し付けるのでしょうから、そんな人にとってはどうでもいいことなのでしょうけどね。
その代わりにトラブル一色の人生になることは覚悟しておいてくださいね。
”保存の法則”は、どんな事象にも当てはまるということを覚えておいてくださいね。
あれこれ言いたいことは山ほどにある。
ここで一番言いたいことは何か?
物事を冷静に分析・批判して、他人のことであってもその分析・批判を自身にフィードバックして如何に良い方向に活かすか?それが大事なことだということ。
そうすると出会う人出会う人、良い手本悪い手本、みな我が師となり糧となる。
そう考えると、人は与えられた環境の中で如何様にも成長することができる。
そう、本人の考え方と姿勢次第で。
そうするとすべてのことに感謝の気持ちが湧いてくる。
自分は万物に生かされいるんだという認識ができるようになってくると、不思議と世の中が今までと違った景色で見えるようになり自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
「恐れを祀り、五感を開いて磨く、その時に決して世間の声に耳を傾けてはいけない。自然の声に耳を傾けなければいけない。なぜなら、人間の声に耳を傾けると本質を見失ってしまうからだ。」
私は、この言葉をベースにして物事を考える。だから毎日森を歩き森に生きづく命との対話を欠かさない。お陰でコロナ禍でもコロナ後でも平穏に過ごすことができている。
この投稿の理解をより深めるためのメディア紹介
ドラマ
僕らは奇跡でできている
高橋一生が動物行動学を研究する大学講師役を演ずるドラマです。森に息づく生き物たちと変わり者講師を取り巻く人々たちの意識・感情の変遷を描くドラマ。変わり者講師の考え方・物事の捉え方が非常に面白い。高橋一生はさすがの演技力、そして戸田恵子に小林薫、このふたりがいるとやはり作品は締まりますね。とにかく面白いドラマです。
書籍
プランタ・サピエンス 知的生命体としての植物
植物と叡智の守り人
樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声
樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
運を呼び込む 神様ごはん
はじめての人におくる般若心経
願い
「恐れを祀り、五感を開いて磨く、その時に決して世間の声に耳を傾けてはいけない。自然の声に耳を傾けなければいけない。なぜなら、人間の声に耳を傾けると本質を見失ってしまうからだ。」
若い人には、この言葉がどういうことなのか理解をするのが難しいかもしれない。30、40、50年・・・と社会に揉まれ人生を歩んできた人にとっては、「ハッ!」とすること「スーッ」と心に染み渡る言葉でははいかと思う。
しかし、現代の年配者の多くは、この言葉を感じることができない人が増えているように感じることが多い。何を言っているのかさえわからない人が多いのではないだろうか?
家庭、学校、会社、社会・・・あらゆる場所で自然との回路を切断されてしまった状態での思考しかできなくなっているので、致し方ないのかもしれない。しかし、実はこのことが不幸の始まりではないのかと、私は考えるようになった。人が人しか見ていないから人の社会は混乱しているのだと。
だから私は、この言葉を積極的に伝え、みなに考えてほしい感じ入ってほしい、そういう思いでこの投稿も書いている。
そしてここに”植物哲学者マダム舞”が誕生する運びとなりました。
ではでは、これからも植物哲学者マダム舞が考える美学を今までと変わらぬご支援・ご鞭撻、否、今まで以上によろしくお願いいたしますm(_ _)m。